日記 #11

SNSが爆発的に普及してどれくらいの月日が経っただろうか。今や日本国民の約半分ほどはLINEなどのメッセージアプリを除く何かしらのSNSを使用しているのではないかと思われるほど我々世代はには欠かせないコンテンツである。私が初めてインターネットに触れたころ自ら書き込みをする人間はごく少数で、大多数の人は便利な検索ツールとして使っていただろう。かくゆう私もそうであった。それが変わり始めたのはとある二次小説サイトにしきりに入りびたり始めた時だった。以前お話した進撃の巨人の二次小説を読むことからはじまり他作品、雑談スレッドなど様々なものに手を伸ばしていった。しかし、私はさらの初心者であり子供でもあった。丸腰でインターネットの荒野に放り出された私は隠れることを選んだ。つまりはROMるというやつだ。勝手や文化がわからないのでひたすらみた、みて当時のネットスラングを自分の頭で推察し彼らが一体何を話しているのか理解することだけを考えていた。当時のネットユーザーへの偏見だが、部屋に引きこもりインターネットに経年したシールのように張り付いている人間ばかりに思われた。しかし今やどうであろうか。ユーザーは加速度的に上昇し私の周りでも何のSNSも使用していない人は一人もいない。それゆえに、かつては狭いコミュニティの中で蔓延していた暗黙のルールのようなものが急激に縮小し、無秩序で混沌とした世界になり果ててしまったのだ。

現実社会において人はだれしも嘘をつく。自分の心に重い蓋をして社交性を獲得していくのだ。反面SNSでは現実世界に抑圧された人々が己が欲望をむきだしにしその結果、他者に多少の悪影響があろうがそんなことは考えもしない。人間の根底を写し出すのがSNSというものなのかもしれない。今まで決して知りえなかった人の強い感情を常に浴びてそれを真実だと思い込んでしまう時もある。ルッキズム、男女平等、援助交際、育児、労働、政治...あらゆるものへ強い感情が周囲を巻き込んで風船のように膨らんでいく。そうしているうちに世界の形をSNSの形に捻じ曲げていしまっているのではないだろうか。いいねこそが世界の意思で世の中の普通だと認識している少年少女たちを生んでしまっているんじゃないだろうか。この構造を壊す術は私などには到底考えつきもしないが、日々の暮らしとともにあるSNSに少しずつむしばまれることがないよう現実世界とのすみわけを心得てほしいと願っている。

それでは、また明日。