日記 #10

今日でブログを更新し始めて10回目の日記となる。千里の道も一歩からなど言うことわざもあるが、私が1000回更新するころには、私あるいは世界はどのように変化しているだろうか。ある時こんなことを思ったことがある。今の自分のまま過去に戻りたいという人がいて私も同じように感じていた。しかし、時を巻いて戻すことはできぬし過去があるからこそ今の私が培われているのだ。では、どうすればよいか。その答えこそ今、私がブログを書いていることそのものである。とにかく行動を起こし、経験を積んでいく。そのことでしか人は成長することができないのだ。残念なことに人は他人に諭され成長できるようにはできていない。自らの意思で、行動で得たものこそが己を変えうる原石である。幼いころ親に勉強の大切さを諭された時や、好きだったあの人に振られた時に、真に己が変わりたいと行動に起こすまでは理解できないのが人間という生物なのだろう。

今の自分のまま過去に戻ることはできないが、今までの自分の2倍3倍の経験を積む生活を送ることはできるかもしれない。そうすれば人より2倍3倍経験できた分豊かな未来を選ぶことができるはずだ。何もドラマティックな経験をたくさんせねばならぬわけではない。日常に潜むあらゆる学びに感覚を研ぎ澄ませ、なにか一つでもつかむことができればそれでよいのだ。幼いころは何もかもが新鮮で世界は学びに満ち溢れていた。一日は途方もなく長くやりたいことで押しつぶされてしまうほどであった。しかし今の私はどうであろうか。同じような日々を繰り返すだけの人生で時間は光のように過ぎ去っていく。既知の世界に顔まで浸かり、ただただ過ぎる日々の中をゆらゆらと泳いでいるだけではないだろうか。そんなことをして成熟した人間になど到底なれるはずもない。すべては己の行動と経験により勝ち取るしかないのだ。より新しい世界に身を投じ、既知と投げ捨てたものからも未知を見出す。既知の概念で己を納得させてはいけない。例えば、仕事の連絡が遅れそのことを上司に指摘されたとする。そこで得られる学びは「連絡は早くしなければならない」ということではない。それはすでに自分も知っている一般論でしかないのだ。そんなものをいくら積み重ねたところで学びとは言えないだろう。ここでいう学びとは、まずなぜ自分は連絡をするのが遅れたのかということを考える。面倒くさくてやらなかったのか、単に忘れてしまっていたのか、理由は様々考えられる。その次にどのような対策を講じればそれを防ぐことができるのか、ここまでが一つの学びだ。そして次同じことが起きた時それが改善できたのかできなったのか。そうして学びは深まっていく。学びとは現象つまり経験と自分の心を重ね合わせることではじめて生まれるものである。

 

以上のことから私はこれまでよりも、多くの新世界と多くの既知から様々な学びを得ることを目標に生きていく所存である。読者諸賢のますますの繁栄を祈っている。

それでは、また明日。