日記 #12

本日は労働の日だった。内容自体はなかなか面白いし不満は特にないが、やはり労働そのものによる疲労はある。特に私の場合、日数が少ない分一度の時間が長いのでより疲労が顕著に現れる。すこぶる眠いし書く文もいつもより精度が低い。心身が健やかに成長し自立というステップが遠目に見えた時、人は労働の過酷さを実感する。日々勤勉に働き自分あるいは家族を支えている方々を深く尊敬できるようになり、社会で生き抜くことに疲弊し思うような生活を送れていない人の気持ちも想像できるようになった。

多くの人々が直面するのが労働との向き合い方だろう。私もごたぶんにもれず、学生が終わってからの数年間常に向き合い続けてきた。夢の実現と労働とお金からの脱却。現在と将来の天秤。人は様々な悩みの中で複雑微妙にバランスを取りながら生きている。もちろん、お金があれば幸せというわけではない。人である限り悩みはつきないし、より解決困難な難題が訪れるかもしれない。つまり何が言いたいのかと言うと、私にもわからない。酩酊時のようなけだるさが全身を支配し脳が文を作り出すことを必死に拒んでいる。仕方がないので今日はもう休むことにする。たまにはそんな回があっても仏様もお見逃しになるだろう。

それでは今日はここまで、また明日。

日記 #11

SNSが爆発的に普及してどれくらいの月日が経っただろうか。今や日本国民の約半分ほどはLINEなどのメッセージアプリを除く何かしらのSNSを使用しているのではないかと思われるほど我々世代はには欠かせないコンテンツである。私が初めてインターネットに触れたころ自ら書き込みをする人間はごく少数で、大多数の人は便利な検索ツールとして使っていただろう。かくゆう私もそうであった。それが変わり始めたのはとある二次小説サイトにしきりに入りびたり始めた時だった。以前お話した進撃の巨人の二次小説を読むことからはじまり他作品、雑談スレッドなど様々なものに手を伸ばしていった。しかし、私はさらの初心者であり子供でもあった。丸腰でインターネットの荒野に放り出された私は隠れることを選んだ。つまりはROMるというやつだ。勝手や文化がわからないのでひたすらみた、みて当時のネットスラングを自分の頭で推察し彼らが一体何を話しているのか理解することだけを考えていた。当時のネットユーザーへの偏見だが、部屋に引きこもりインターネットに経年したシールのように張り付いている人間ばかりに思われた。しかし今やどうであろうか。ユーザーは加速度的に上昇し私の周りでも何のSNSも使用していない人は一人もいない。それゆえに、かつては狭いコミュニティの中で蔓延していた暗黙のルールのようなものが急激に縮小し、無秩序で混沌とした世界になり果ててしまったのだ。

現実社会において人はだれしも嘘をつく。自分の心に重い蓋をして社交性を獲得していくのだ。反面SNSでは現実世界に抑圧された人々が己が欲望をむきだしにしその結果、他者に多少の悪影響があろうがそんなことは考えもしない。人間の根底を写し出すのがSNSというものなのかもしれない。今まで決して知りえなかった人の強い感情を常に浴びてそれを真実だと思い込んでしまう時もある。ルッキズム、男女平等、援助交際、育児、労働、政治...あらゆるものへ強い感情が周囲を巻き込んで風船のように膨らんでいく。そうしているうちに世界の形をSNSの形に捻じ曲げていしまっているのではないだろうか。いいねこそが世界の意思で世の中の普通だと認識している少年少女たちを生んでしまっているんじゃないだろうか。この構造を壊す術は私などには到底考えつきもしないが、日々の暮らしとともにあるSNSに少しずつむしばまれることがないよう現実世界とのすみわけを心得てほしいと願っている。

それでは、また明日。

日記 #10

今日でブログを更新し始めて10回目の日記となる。千里の道も一歩からなど言うことわざもあるが、私が1000回更新するころには、私あるいは世界はどのように変化しているだろうか。ある時こんなことを思ったことがある。今の自分のまま過去に戻りたいという人がいて私も同じように感じていた。しかし、時を巻いて戻すことはできぬし過去があるからこそ今の私が培われているのだ。では、どうすればよいか。その答えこそ今、私がブログを書いていることそのものである。とにかく行動を起こし、経験を積んでいく。そのことでしか人は成長することができないのだ。残念なことに人は他人に諭され成長できるようにはできていない。自らの意思で、行動で得たものこそが己を変えうる原石である。幼いころ親に勉強の大切さを諭された時や、好きだったあの人に振られた時に、真に己が変わりたいと行動に起こすまでは理解できないのが人間という生物なのだろう。

今の自分のまま過去に戻ることはできないが、今までの自分の2倍3倍の経験を積む生活を送ることはできるかもしれない。そうすれば人より2倍3倍経験できた分豊かな未来を選ぶことができるはずだ。何もドラマティックな経験をたくさんせねばならぬわけではない。日常に潜むあらゆる学びに感覚を研ぎ澄ませ、なにか一つでもつかむことができればそれでよいのだ。幼いころは何もかもが新鮮で世界は学びに満ち溢れていた。一日は途方もなく長くやりたいことで押しつぶされてしまうほどであった。しかし今の私はどうであろうか。同じような日々を繰り返すだけの人生で時間は光のように過ぎ去っていく。既知の世界に顔まで浸かり、ただただ過ぎる日々の中をゆらゆらと泳いでいるだけではないだろうか。そんなことをして成熟した人間になど到底なれるはずもない。すべては己の行動と経験により勝ち取るしかないのだ。より新しい世界に身を投じ、既知と投げ捨てたものからも未知を見出す。既知の概念で己を納得させてはいけない。例えば、仕事の連絡が遅れそのことを上司に指摘されたとする。そこで得られる学びは「連絡は早くしなければならない」ということではない。それはすでに自分も知っている一般論でしかないのだ。そんなものをいくら積み重ねたところで学びとは言えないだろう。ここでいう学びとは、まずなぜ自分は連絡をするのが遅れたのかということを考える。面倒くさくてやらなかったのか、単に忘れてしまっていたのか、理由は様々考えられる。その次にどのような対策を講じればそれを防ぐことができるのか、ここまでが一つの学びだ。そして次同じことが起きた時それが改善できたのかできなったのか。そうして学びは深まっていく。学びとは現象つまり経験と自分の心を重ね合わせることではじめて生まれるものである。

 

以上のことから私はこれまでよりも、多くの新世界と多くの既知から様々な学びを得ることを目標に生きていく所存である。読者諸賢のますますの繁栄を祈っている。

それでは、また明日。

日記 #9

さて、満を辞して一昨昨日の話をしよう。 

と息を巻いたものの読者諸賢の期待するようなドキドキワクワクなお話ではない。こじんまりとした局所的体験談に過ぎないことは先に断っておこう。

その日は十五年来の旧友と相見することとなっていた。小学生の頃、毎日のように彼を連れ回し阿呆の限りを尽くしていた事を鮮明に覚えている。中学生に上がり別々の学校に別れた事によりかつてのように遊ぶことはなくなったが、それでも時折私のいかにも中坊らしい荒唐無稽な珍案で自転車で東京を横断したり、何の理由もなくメントスコーラなどをして遊んでいた。しかし高校生になりいよいよ疎遠になっていったころ、お互い何かしら声をかけようか考えあぐねた結果、それからお互いが顔を合わせることはなかった。成人式には互いに参加していたが、地域により一部、二部と時間をずらして開催されていた為またしても再会の機会を逃してしまったのだ。そんな中、先月私が二十とn回目の誕生日を迎えた事で彼から連絡が届いたのである。このゴールデンウィークで実家に帰省する為、食事にいく約束を取り付けた。

再会した彼は、面影を残したまま見違えるほど変わっていた。昔は見た目に頓着しないおおらかでふわふわした雰囲気を放っていた彼が、髪は短く切り揃え、眉毛もきっちりと逆ハ字に整えて、社会人らしい清潔感を身に纏って現れたのだ。一方彼と疎遠になってからの私と言えば、しきりに髪を染め、襟足を集中的に伸ばすなどビジュアルが定まらないふわふわした人間であったが、二十歳を過ぎてしばらくしたころ、やたらに髪をいじくりまわす不毛さに面倒になり、今では黒髪で長さも一般的になり中学生の頃のような風貌を呈している。そしてお互いの趣味であるアニメや漫画、つもる話に花を咲かせながら我々が目指したのは、二子玉川にある二階建てのフレンチのお店だった。しかしフレンチと言ったもののそこは二階建ての海の家のようないでたちで、オーダーも食券制という異色さからレストランというよりかはビストロといった雰囲気のお店であった。我々が予約をしたのは二回のテラス席で、眼前には多摩川が広がる素晴らしい眺めの席に腰を下ろした。ビストロとは言ったもののやはりフレンチというべきか、ルーキー社会人の彼と定職につかない私とでは財布にいくばくかの陰りをみせたが、食事は大いに楽しむことができた。

食事後は近くの公園や商業施設の催しを楽しみつつ秋葉原まで移動することにした。バッティングセンターとゲームセンターを目当てに秋葉原へ向かったのだが、GW真っ只中のバッティングセンターには信じられない数の人が押し寄せており早々に断念することとなった。その後、ゲームセンターではレトロゲームやダンスゲームなど多種多様なゲームをひとしきり楽しみ帰路についた。そこから彼の知らぬ間に頭角を現した地元の一押しのラーメン店へ向かったが、せっかくならばと近くに住んでいるもう一人の友人Bを誘うこととなり3人でラーメン屋を目指した。しかし件のラーメン屋のラストオーダーが19:30という、異例の速さで店を閉じていたことにより夕食のあては白紙に戻った。そして我々が選んだのは飲み放題が30分500円という手頃な焼き鳥屋であった。友人が一人増えたことにより思い出話はさらに加速しそれと同時に酒のペースも加速していった。気をよくした友人Bが食後はカラオケに行きたいと駄々をこね、ここで私は帰宅のチャンスを逃すことになる。酒が弱いと苦笑した友人Aもこの日は酒が進み、カラオケへ向かうこととなったのだ。手早くラーメンをたいらげ早々に帰還するつもりだった私の計画とは大幅にずれが生じたものの数年ぶりの再会を前に帰宅の選択肢がないのはご理解いただけるだろう。そしてカラオケで懐かしの歌を歌いまわしていたところ、アルコールによる睡魔の限界が友人Aに去来し今度こそ家路につくように思われた。3人で友人Aの家へ送り届けるまではよかったが道中で少し酔いが醒めたか、卒業アルバムを家から取り出し再び思い出話の肴が我々の眼前を泳ぎ回った。そうして夜が白むまで他愛もない話で盛り上がり、朝日が昇ったころついに家路についたのだ。

長くなってしまったがやはり旧友との再会は人生において格別な体験であり、友とは生涯こうありたいと改めて強く願った。今あるこの時が未来の肴になるように今日も健やかに生きていこう。

それでは、また明日。

日記 #8

今日は先日の投稿で更新が止まったことについて言及すると約束したな。あれは嘘だ。

 

唐突に古のネットミームが脳に浮かびあがり指がおのずから鍵盤をたたいていた。なぜ昨日の宣言をたがえることになったかと言えば、本日は井上尚弥チャンピオンのスーパーバンタム級4団体防衛戦が行われたからである。普段は軟弱者の不名誉をほしいままにし、人が殴り合うさまなどを嬉々としてみることはない私だが、井上選手は例外である。

初めて動画サイトで井上選手のKO集を拝見したのがもう6年ほど前になるだろうか。あの時の衝撃を私は生涯忘れないだろう。幼年のころより「はじめの一歩」を観てきた私からすれば、現実のボクシングはあまりに高速で駆け引きを想像する余地も、繰り出された拳が命中したか否かを確認する動体視力もなく文字通り単純な殴り合いに見えていた。アニメで観た強者の同士の熾烈な駆け引きや、熱い心のぶつかり合いは私の目には映ることはなかった。しかし井上選手の戦いぶりはまさしく異次元であった。パンチのスピード、間合いをつめるステップ、ガードもろとも吹き飛ばす圧倒的パワー、相手のパンチを見切る動体視力、好機と悟った瞬間の獣のごとき獰猛さ、どの能力をみても別次元であることは素人目にもはっきりと理解できた。そうして調べていくうちに、血のにじむような努力でボクシングに打ち込み続けるひたむきさやそれでいて決して驕らない謙虚な姿勢など人間的部分にさえ非の打ちどころがないときたらもうお手上げである。それ以来今日に至るまで応援を続けてきた井上選手が今夜防衛戦を迎えた。先述した通り井上選手以外のボクサーをほとんど知らないので対戦相手のルイス・ネリ選手については判然としない。しかし対戦戦績をみると36戦35勝(27KO)1敗という素晴らしい戦績を納めている。詳細な試合内容に関しては各自AmazonPrimeVideoのアーカイブにて確認して頂きたいが特に印象に残っているシーンを抜粋しお話していこう。

まずは何といっても第1ラウンドである。井上選手キャリア初のダウンを奪われてしまう。ここまで井上選手の活躍を追ってきた身として、信じられないという気持ちと言いようもない不安な気持ちが頭を支配した。ダウン後は冷静だったもののゴングがなり試合が再開された後、井上選手がクリンチを使った際は思わず息をのんだ。私の記憶では井上選手がクリンチを使ったのは数年前に対戦したノニト・ドネア選手に右目をカットされた井上選手史上最も危険な試合一度きりだったはずだ。つまりダウンのダメージがかなり残っており危険な状態あることを意味していたのだろう。初の事態に井上選手がどのように立ち回るのか気が気ではなかったが、冷静に試合を立て直し2ラウンド以降いつものペースを取り戻し徐々にネリ選手をとらえ始めた。回を追うごとに私の不安は払拭されKOへの期待が高まった。そこからはワンサイドゲームだった。ネリ選手も素晴らしいタフネスで何度もパンチをもらっても反撃の手を止めず抵抗していたが、井上選手はすでに見切っているように見えた。そして6ラウンドついに井上選手の右が突き刺さりノックアウト勝利となった。開始早々のダウンにひりついたものの試合としては大勝と言える内容に胸をなでおろした。

未だ無敗のチャンピオンだがすべての人に平等に時は流れていく。これまで活躍に感謝し、1つでも多く井上選手の試合が見られることを楽しみに今後も応援していくつもりである。

それでは、また明日。

日記 #7

ブログを始めて約一週間、昨日は初めて投稿することがかなわなかった。詳細な理由に関しては明日のブログにてお話しするつもりだが、端的に言えばやむにやまれぬ理由で日が昇るまでに自宅に帰還することができなかったのである。そして私が夢の世界にログインしたのは完全に朝日が昇り切った時刻であった。しかしその後、正午にはそれすらログアウトし鉛玉のように重い体で作業をこなし夕刻前には労働のために家を出た。普段は頻繁に友人に会ったりなぞしない私だが折り合い悪く労働後の食事に誘われる事態に陥った。そうして私が再び玄関をまたいだのは日付が変わった後である。

包み隠さず正直に申し上げれば、ものすごく眠たい。今すぐ床に飛び込みお気に入りの抱き枕を抱きしめて瞼の裏側をじっくりと眺めたい。懊悩とは無縁の平和的世界で三日三晩過ごしたい。しかし不可抗力で更新ができなかった昨日と違い、今日書かないというのは怠惰に他ならない。何よりこれまで本ブログ書いてきた自分への裏切りだ。たかが一週間と思われた方もあろうが、その一週間の積み上がりこそが人生であると私は確信している。おこがましくも人生を語ってしまったが、続けることとは過去のあるいは未来の自分に対して誠実であることの証明だ。どうしてもさぼってしまいたければいつもより短くすることも手段だろう。自分だけにわかるそうした堆積を大切に育てていきたい。

それでは、また明日。

日記 #6

当年とって二十と余年、生まれてこの方ずっと家族と暮らしてきた私であるが、この春ついに一人暮らしを始めることに決めた。そして入居予定の物件の審査を無事通過したことにより、晴れてブログに書き込むことが可能になったわけなのだ。

私が、新たなる人生の幕開けとして選んだ場所は日本の古都である。関東に在住している私がなぜ、そのような遠方の地を選んだのかという話をすると、それは私が無類の森見登美彦好きに他ならないからである。森見登美彦という人物をご存じだろうか。昨日の進撃の巨人に続き、私の人生に多大なる影響を与えた作家の一人だ。代表作に「夜は短し歩けよ乙女」「ペンギンハイウェイ」「四畳半神話体系」などと挙げられる。私のこの少し古めかしいような口調や語彙はもろに森見先生の影響を受けている。むしろただのまねっこである。先生が描き出す独自の世界観、古風な言い回し、淀みなくすらすらと読み進められるテンポ感、腐れ大学生たちの日常にすかっり未了された私は、そのうち森見登美彦の聖地に居を構えることが夢になっていた。もしまだ読んでいない方がいらっしゃるのであれば早急に読んでしまうのがよろしかろう。人は選ぶがささる人にはとことんささる、そういった趣のある作品たちがあなたを森見ワールドへ誘うはずだ。

一人暮らしについて話を戻そう。生活力、収入、自立した心、どれをとっても到底一人でなど暮らしていけるはずもない私がなぜこの決断に至ったのか。理由は至極単純に変化を望む心が臨界点に達したからである。ここ数年間を思い返せば、特別な出来事もなくただ惰性で日々を消化していき、失われていく輝かしき十代、つかむべき未来すらも照準が定まらない与太者であることを恬として恥じぬおよそほめるべきところのない生活を送っていた。そんな私もいよいよ、そのごくつぶしぶりにも嫌気がさしてきたというわけだ。「獅子はわが子を千尋の谷に落とす」の如く、自分自身をぼろ下宿に突き落とさねばならぬときが来た。ゆえにめくるめく人生の第一歩への布石を打ち込むことに決めたのだ。

それでは、また明日。