日記 #9

さて、満を辞して一昨昨日の話をしよう。 

と息を巻いたものの読者諸賢の期待するようなドキドキワクワクなお話ではない。こじんまりとした局所的体験談に過ぎないことは先に断っておこう。

その日は十五年来の旧友と相見することとなっていた。小学生の頃、毎日のように彼を連れ回し阿呆の限りを尽くしていた事を鮮明に覚えている。中学生に上がり別々の学校に別れた事によりかつてのように遊ぶことはなくなったが、それでも時折私のいかにも中坊らしい荒唐無稽な珍案で自転車で東京を横断したり、何の理由もなくメントスコーラなどをして遊んでいた。しかし高校生になりいよいよ疎遠になっていったころ、お互い何かしら声をかけようか考えあぐねた結果、それからお互いが顔を合わせることはなかった。成人式には互いに参加していたが、地域により一部、二部と時間をずらして開催されていた為またしても再会の機会を逃してしまったのだ。そんな中、先月私が二十とn回目の誕生日を迎えた事で彼から連絡が届いたのである。このゴールデンウィークで実家に帰省する為、食事にいく約束を取り付けた。

再会した彼は、面影を残したまま見違えるほど変わっていた。昔は見た目に頓着しないおおらかでふわふわした雰囲気を放っていた彼が、髪は短く切り揃え、眉毛もきっちりと逆ハ字に整えて、社会人らしい清潔感を身に纏って現れたのだ。一方彼と疎遠になってからの私と言えば、しきりに髪を染め、襟足を集中的に伸ばすなどビジュアルが定まらないふわふわした人間であったが、二十歳を過ぎてしばらくしたころ、やたらに髪をいじくりまわす不毛さに面倒になり、今では黒髪で長さも一般的になり中学生の頃のような風貌を呈している。そしてお互いの趣味であるアニメや漫画、つもる話に花を咲かせながら我々が目指したのは、二子玉川にある二階建てのフレンチのお店だった。しかしフレンチと言ったもののそこは二階建ての海の家のようないでたちで、オーダーも食券制という異色さからレストランというよりかはビストロといった雰囲気のお店であった。我々が予約をしたのは二回のテラス席で、眼前には多摩川が広がる素晴らしい眺めの席に腰を下ろした。ビストロとは言ったもののやはりフレンチというべきか、ルーキー社会人の彼と定職につかない私とでは財布にいくばくかの陰りをみせたが、食事は大いに楽しむことができた。

食事後は近くの公園や商業施設の催しを楽しみつつ秋葉原まで移動することにした。バッティングセンターとゲームセンターを目当てに秋葉原へ向かったのだが、GW真っ只中のバッティングセンターには信じられない数の人が押し寄せており早々に断念することとなった。その後、ゲームセンターではレトロゲームやダンスゲームなど多種多様なゲームをひとしきり楽しみ帰路についた。そこから彼の知らぬ間に頭角を現した地元の一押しのラーメン店へ向かったが、せっかくならばと近くに住んでいるもう一人の友人Bを誘うこととなり3人でラーメン屋を目指した。しかし件のラーメン屋のラストオーダーが19:30という、異例の速さで店を閉じていたことにより夕食のあては白紙に戻った。そして我々が選んだのは飲み放題が30分500円という手頃な焼き鳥屋であった。友人が一人増えたことにより思い出話はさらに加速しそれと同時に酒のペースも加速していった。気をよくした友人Bが食後はカラオケに行きたいと駄々をこね、ここで私は帰宅のチャンスを逃すことになる。酒が弱いと苦笑した友人Aもこの日は酒が進み、カラオケへ向かうこととなったのだ。手早くラーメンをたいらげ早々に帰還するつもりだった私の計画とは大幅にずれが生じたものの数年ぶりの再会を前に帰宅の選択肢がないのはご理解いただけるだろう。そしてカラオケで懐かしの歌を歌いまわしていたところ、アルコールによる睡魔の限界が友人Aに去来し今度こそ家路につくように思われた。3人で友人Aの家へ送り届けるまではよかったが道中で少し酔いが醒めたか、卒業アルバムを家から取り出し再び思い出話の肴が我々の眼前を泳ぎ回った。そうして夜が白むまで他愛もない話で盛り上がり、朝日が昇ったころついに家路についたのだ。

長くなってしまったがやはり旧友との再会は人生において格別な体験であり、友とは生涯こうありたいと改めて強く願った。今あるこの時が未来の肴になるように今日も健やかに生きていこう。

それでは、また明日。